時が進むのが早い、そんな10月。
最近は「Voice Diary」としてラジオ的なこともやっていたのでブログが少し空いてしまった。
どっちも並行していかなきゃ。
(ラジオは配信[Broadcast]ページもしくはHPトップページ右部より)
なるべく話している内容とは被らない話を書きたいと思う。
PCが壊れたことが最近の大きなトピックスだ。
とても傷心したが嘆いてばかりではいられない。
ピンチをチャンスと捉えたい、そんな社畜精神戦国時代だ。
次のPCは内蔵SSD、容量2TB、メモリ40GBだ。不足はない…
もはやハイテンション躁状態のようだが、大丈夫、俺は正常である。
今はノートPCで色々やっているけど、一応毎日音楽と向き合っている。
コロナ社会になってから早半年が経過。
悲しいことに、周りには一つの終わりを迎えている人もちらほら見受けられる。
簡単な話、仲間のバンドの解散だったり、離婚だったり、あるいは死。
全然重さが違うじゃねえか!と言いたくもなるが、当人たちからすればどれも一大事だろう。
いずれのイベントにせよ、傍観者の自分にとっては切ない気持ちにさせられる。
ここで己を振り返るのだ。
俺自身はコロナの影響は少なく、ただ淡々と生活をしている。
よくもまあ飄々としていられるなと、過去を見つめながら思う。
周囲で様々な終わりを迎えている中、俺は普通なのだ。
なんなら数年前までの方が自分なりの「終わり」というものを意識していた。
状況は違えど、「終わり」に対する気持ちはよく分かるつもりだ。
何度か触れてきているが、w-mとは諦念や終幕の意識から始まったプロジェクトだ。
恥ずかしいが少し似た始まり方のバンド「SEKAI NO OWARI」が有名なので二番煎じみたいなのだが…
ほんとにそうなのだ。
何度も挫けそうになりながら、平たく言えば「死ぬまでに残さなきゃ」と思ってやってきている。
今もその意識はあり、ストップしてしまうと生きる理由も薄まってしまうような気がしてちょっと怖い。
終わりを迎えても新たな一歩を踏み出せる人はたくさんいる。
しかしながらそうではない、グラグラな丘を一本足で立っているような人もいるだろう。
その丘の名前は家族か、仕事か、愛か、はたまた音楽か…
俺はその丘のことを軽んじて見たくはない。
新しいものを見つけるのもいいし、見つけられずに絶望の淵にいるかもしれないが、俺はそれも良いと思う。
ただただ、まだ行けるならもう少しやってみようぜと思っている。
少なくとも俺も同じような人間のつもりなのだ。
気の利いたことは言えないけれど、無能感に苛まれるこんな自分はとりあえず挑戦してみている。
自分のできることしかできないけれどここで頑張っている。
さて、最後にOutsideな話。
w-mとしても精力的にやっているつもりだが、ちょっとしたプロジェクトを始められないかと模索中だ。
これは全く予定や戦略が立っていないのだが、シンプルに一緒にやってみたいボーカルがいたのだ。
バンドではないが、とりあえずそちら用の曲も作ってみようと思う。
多分w-mとは全然別物の音楽になると思う。
これも先述のような「残したい・後悔したくない」といった気持ちからやってみようと思ったのだ。
多分これがなければ、新たな物事を始めるなんて尻込んでしまう。
どんなに社会へ、自分へ、ヘイトが溜まっても。
生きてしまっている以上は全力だ。
「死」という終わりを迎えない限りは、人生は続いていく。
-今日のおすすめの1曲-
Time Warp - Perfume
-コメント-
今シンセサイザーを勉強していて、月並みだけど中田サウンドの作り方も勉強中だ。
別にこういうサウンドが欲しいわけじゃなくても、一つ一つの音に学びがある。
多分そんなに特殊な音を使っているわけじゃないのだが、逆にそこがすごいなあと。
気づけばギターとかは慣れたもんだけど、どんな楽器でも自由自在に操れるようになりたい。
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