病気関連のことを書くのは久しぶりかもしれない。
もはや自分にとっては病気というか性格みたいなものなのだが、そうは言っても嫌なものだ。
もしこの記事を読むあなたが同じ症状を抱えているとしたら先に謝っておきます。
すみません、俺はこの病気を克己出来た人間ではないので、気の利いたことは言えません。
ただ自分の活動はこうした病気の嫌な気持ちとかだけを歌にしています。
同じような人の同じような不安が孤独に変換されないことを祈っています、一緒に頑張りましょう。
今日は歌ではなく、言葉にして書いていきたいと思う。
今日は夜の散歩を気分良く終えた。
部屋に戻り適当に過ごしているとなんだか息苦しい。
同時に気分がなんだか重みを増すのを感じ、微妙に吐き気があり、次第に強くなっていく。
そう、パニック発作である。
この症状は8年くらい前から共に生きているから、「また来たか、やれやれ」というムードでやり過ごしている。
もう慣れたものなのだ。
・・・そう思っても、過呼吸状態に陥り、数十分後に落ち着いてから身体の痺れと不快感を感じれば、冷静ではいられないものだ。
発作が収まればいつも反省会のごとく、自分の精神と向き合うことになる。
パニック発作というものは、よく人目に触れると発症してしまうという「広場恐怖症」にも繋がりやすいと言われている。
この障害を持つ人の1/3は広場恐怖症らしい。
幸い俺は広場恐怖症ではないのだが、こんなにリラックスして過ごしていたはずでも唐突に訪れるので厄介だ。
なぜ起こるかが分からない、それが俺にとって嫌な原因である。
せっかく体調良く過ごせているつもりでも発作が起これば、「お前はまだ狂った異常者だ」と神から言われている気がしてしまうから、とっても落ち込むのだ。
大体発作が起こりそうだなーって思ったらトイレに駆け込むくらいは出来るようになった。
だから人に心配をかけることは少なく過ごせているとは思う。
これは自分との戦いだと思い、毎日を過ごしている。
この短い人生の中でも、この症状によってたくさんのものを奪われてきた。
大学卒業頃の、思い出に残るはずのライブのステージで発作が起こり台無しになってしまったことは今でも恨めしい。
街角で、デパートの中で、ライブハウスで、病院で、発作を起こし多くの人が心配してくれた優しい目が怖かった。
集団イベントの中で発作を起こしそうになり途中退出を繰り返していると、異常者として扱われ、半ばいじめを受けるようなサラリーマンのスタートだったことも忘れられない。
嫌なことがいっぱいである。奪われてきた。
逆にこんなんだから、少しくらい与えることをしたい。
こんな病気にならなければ良かったと嘆く気持ちを抑え、今できることを。
自分ならではの経験を以て、俺は与えていきたいと思っている。
ふと、とある曲の歌詞を調べた。
Dream TheaterのPanic Attackという曲の和訳だ。
超大好きな曲にも関わらず、歌詞が英語というだけで見たことがなかった。
なんとなく読んでみると、モロにパニック発作の感覚を歌っているではないか。
調べてみたら、作詞のジョンペトルーシはパニック持ちらしい。知らなかった。
どんなに功績を上げたり輝いて見える人でも、病気というものはランダムに、ある意味平等に襲いかかる。
(遺伝の話は除く)
そうであれば、自分にもなんだか、出来ることがある気がする。
凄い人もみんな同じ人間だ。
大丈夫だ、焦ることがあっても、自分を嫌いにさえならなければ、やっていけるはずだ。
-今日のおすすめの1曲-
Panic Attack - Dream Theater
-コメント-
本文に書いた通りで特に言うことはない。
ただ、歌詞を抜きにしても、曲が素晴らしい。
ドリムシを知ってから約12年くらい経ち、今日新たに心を楽にしてくれるような聴き方が出来た。
感謝したいと思う。
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