哲学


哲学

①  世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。

②  自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。

三省堂 大辞林 第三版より抜粋

今回から新たなブログテーマ「哲学」についても書いていく。

テーマとなる言葉について、それに対する自らの思想について残していくというものだ。

音楽活動に傾倒するあまりこうした内容については触れてこなかったが、本来俺はこうした内容ばかりを日記やブログにしていた人間である。

誰かが何かのきっかけでこの記事に辿りつき、こうした考えを持っている人間もいるのだと共感もしくは「哲学」してくれたら嬉しく思う。

 

さて、本テーマ第一回目となる内容はまさに「哲学」そのものについてだ。

今後様々なテーマを扱っていく上で、その定義を明確にしないことは無粋である。

辞書としての意味は上述の通りだ。

そして俺の中での哲学とは「あらゆる物事について改まって考え、自分の信念を持って答えを導き出すこと」である。

「哲学」という言葉や学問は難しそうでスノビッシュにも捉えられがちである。

しかしその本質は上一文のように単純明快であると俺は考えている。

 

何千年もの歴史が紡がれていく中、次から次へと事実がアップデートされていく。

それは概念となり、常識となり、学問となり、教育となり・・・

現代の人々は特に情報を容易く得られるため、分からないものはすぐに検索し、「知識」とすることが出来る。

しかしながら人の思想や生き方には正解がない。

具体例で挙げるならば、「人間はほ乳類である」ということは大多数の人が共通に持つ事実であるが、「死刑制度は人間として正しい制度である」ということは人によって考えが異なり事実にはなり得ない。

いくら情報が転がっていようとも、思想の分野に体系的な答えを出すことは出来ず、各々が自分に合った考えを取捨選択するしかないのだ。

現代で言えばメディアリテラシーについて警鐘が鳴らされるようになってから久しいが、今こそ哲学が求められる時代だと思う。

俺の、あなたの思想は、教科書やネットでポンと答えが載っているようなものではないはずだ。

時に正しいとされる思想、理想とされる思想も穿った見方をすることさえ重要だ。

それは本当に、自分にとって正解なのだろうか?と。

 

一方で哲学的な内容を議論することは、時に人にとって嫌われることにもなる。

「答えのないものに答えを出すなんて無意味だよ」という理由が多いと思う。

一人で考えるだけでも大切なことだと思うのだが、やはり他者からの意見というものも己を構成する上で欠かせないファクターだ。

しかし拒まれてしまいがちな話題なのだ。

昔話だが、俺が15歳の時のことだ。

道徳や主義など、何百年経っても合意が得られない分野に対して、自分の中での答えや生き方を見出すことが大事だと思った。

そこから一つ一つの話題に対し深掘りすることを始めた。

道楽と受験勉強に満ちた高校生活ではこんな話を真剣に出来る友人は一人もいなかった。

唯一の話し相手は母であったが、この手の話に興味がある人間でもない。

子どもの俺の変な話に付き合っていただけだ。

母にとって面白い内容でもないから話をそらされて、何度も軌道修正をする。

そのうちに母は苛立ち始め、「答えがないことを話しても仕方がないでしょ」と言われて終わる。

そんなことが何度もあり、時には怒られてしまい、悲しかったことを覚えている。

別に論破をしたかったわけでは全くない。

その人の考えを言葉で聞きたかったのだ。

「ご飯がおいしい」という話はOKでも、「なぜ人は人を殺してはいけないか」といった話はNGだった。

友達にも教師にも家族にも話せなくて、孤独な気持ちになっていたことを覚えている。

 

そうして俺は大人になっていった。

大学生になってからは「なんかめちゃめちゃ考え込んでいる人」みたいになってしまった。

ついには人前でそういった思想をさらけ出すことをやめ、処世術を身につけ、おちゃらけて、思想を隠すようになってしまった。

昔の自分にとっては信じられないだろうが、これでいいのだ。

大事なのは人に理解してもらうことでもなく、論破することでもない。

他者からの意見を頻繁に拾わなくても、自分の答え合わせを他者とする必要もない。

だけど哲学をやめちゃいけないなって常日頃思っている。

他者の哲学はたまに触れられればいい。

こうやって、人は自分の生き方を見つけていくんじゃないかな。

 

 

人と議論することをやめた。

だけれど人の思想に触れることは本当に有意義なもので、時に人生を変えるきっかけにもなる。

だから俺は曲を作り、一方的であろうとも思想と感情を残している。

実はw-mの曲とは哲学から始まったのだ。

そして今は、こうして改まった文章にしている。

いつまで生きられるか分からないし、どっかの誰かが10年後くらいにw-mを知るかもしれない。

きっかけなんて分からないのだから、俺は今度から文章としても残しておきたいと思っている。

 

最後に、俺は哲学科出身の人間でもないし、哲学史にも精通しているわけではない。

それでも哲学というものを語るのは恥ずかしいなんて思っていない。

人間誰しも持っているものだから。

むしろ、哲学を学んだという事実だけで物事を語る人間がいたら本末転倒だと思っている。

そういう人は教育者になり得ても哲学者にはなり得ないだろう。

俺はソクラテスのことを尊敬している。

哲学界では嫌われ者・笑われ者の哲学者だ。

昔の話だから実際にどう思っていたかなんて知るよしもないが、彼は最後まで一貫した考えを持っていた。

死に際がかっこよかったのではない。

心の底から自分の信念を貫き通せる思想を持っていたこと、そしてその目的は誰かのためでもなく金のためでもなく、「自分のため」であったことが凄いなって思うんだ。

 

-今日のおすすめの1曲-

Uno - Muse

-コメント-

 

Museの中で一番好きな曲だ。

英歌詞だが、何度も多用される「You could've be number one」というフレーズはキラーワードだろう。

なんて闇の深い1曲なのだろうと思う。

Museも路線が大きく変更したバンドの一つとも言えるけど、俺はやっぱり初期が好き。

ピアノもオーケストラも美しいけど、マシューのダーティな部分を表現出来ているのはやっぱりギターだよなあって思う。