ようやく言葉にできました


今日は雑記というよりは想い系の内容です。

まあ長いけど、ようやく言葉としてまとまってきた内容。

もし最後まで読んでもらえたなら、幸甚の極みです。

 

 

 

 

今回こそ、めちゃくちゃ久しぶりな更新となってしまいました。

この場では本当にお久しぶりです。実に1年3ヶ月ぶり。

俺はあんまり告知事ではブログを使用しないので、今回も取るに足らない内容だと思いますが、いつもと同じく適当に眺めていただければと思います。

 

 

 

先にちょびっと近況報告。

私生活は特に変わりがない。

仕事が激務だったり暇だったり、趣味に没頭したりしなかったり。

今現在は音楽のモードを強めつつ、忙しい仕事をこなしているという感じです。

音楽の熱量が高いとかではないのですが、常に淡々と、どうすれば良い曲を作れるかなと考えていますね。

あとは演奏面でも練習したり、アレンジの委託作業を進めたりと、あまり意識せずとも音楽が常に中心にあることも変わりません。

 

 

 

そんな中で今頑張っているのがライブ。

6/24(月)に池袋手刀、7/11(木)に下北沢Club Queにてライブをやります。

ご都合よろしければ皆様三親等までお声がけの上、見に来てください。

 

 

 

 

さて近況と宣伝はこれくらいで、ずいぶん前から思っていたことを書いてみる。

前回のブログで書いた内容のことでもあり、これはコロナ禍から思っていたこと。

すなわち、ライブをやる想いでもあり、音楽に求めるものであり、人々の生き方の話でもある。

 

 

 

2018年からw-mをはじめて、同年-2019年までの短い期間ライブを行い、ライブ活動は休止したりコロナに突入したりした。

もう活動から6年も経とうとしている。

始めたての頃はとにかくがむしゃらで冷静でもなかったから、「何もしないよりはやらなきゃ」という思いが強かった。

私生活を顧みることはせず、可能な限りでライブを詰め込んだりしたこともあった。

曲も作り続けたし、ごくわずかの人に対してでも自分の曲が届くことが喜びでもあった。

 

 

だがしかし、俺は実力、体力、何より精神力が不足していた(今もだけど)。

生きるために休養が必要だったし、そうこうしているうちにコロナに入り、それからも社会に耐えられなくなりそうだった。

人と接しているのが怖く虚しくなりそうだった。

そこから俺は沈黙を覚え、人と距離を置くようになったと思う。

もともとそんな人とべったりするタイプでもなかったが、より一層孤立したくなったんだと思う。

一方で、どんよりとしていた世の中で、俺はネガティブな発言がしにくくなったようにも感じていた。

歌を除いて、社会の中で発する自分の言葉は背伸びをした内容か、本当にポジティブな気持ちのときの言葉ばかりになってしまった。

そうせざるを得ない気がしていた。

今もその癖は拭い切れてはいない。

 

 

 

そんな時に聞いた音楽は…

特に自分に寄り添ってくれることもなかった。

良くも悪くも、音楽はただの音楽であり、何よりも中立な存在だった。

だからこそ良いなと思えた。

とても優しかった。

 

 

 

時間が流れ、俺も歳をとり、コロナの事態は収束した。

その間にもおぞましい事件があったり、悲しい震災があったり、経済状況が目に見えて悪化したり。

世の中はだいぶ変わったようだが、俺はそんなに進歩することもない。

世間の変容と比較してしまうと、個人の変容などいささかちっぽけである。

ついつい”世間”というものを”他人”と勘違いし、取り残されている感じがして、自分が求めていない孤独感を感じてしまう。

今やネット社会などは当たり前であるが、たくさん目に見えるものこそより真実に感じてしまうのではないだろうか。

それが全てじゃないんだよと言いたいところだが、俺自身としてはしばしばその錯覚にやられてしまうのであった。

 

 

 

そんな日々だったが、俺はコロナ中に気づいた「音楽の中立性」をひしひしと感じ、感謝ばかりしていた。

もう、めちゃくちゃフラットな存在。

どんな背景があろうが関係がないもの。

仮に不祥事を起こした人間の曲であれ、その曲は曲でしかなく、受け手がこの上なく自由に感受して良いものだと思っている。

時代だって関係ないし、上手い下手で良し悪しが決まらない、作品。

あまり音楽は芸術と言いたくない人間なのだが、どう考えても芸術である。

(反省しています、俺は「芸術」という言葉に感じる崇高さを取り払わなければいけないと感じています)

 

 

これも俗っぽい話だが、坂本慎太郎の有名な名言がある。

「音楽は役に立たない。役に立たないから素晴らしい。役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。」

この言葉の深みと優しさを本当に理解できたのは、恥ずかしながら最近の話だ。

 

 

 

俺は昨年からスタジオに入るようになり、2023年9月にライブを行った。

そして今年もやっていく。

ここには昔と違った明確な主目的があった。

人が音楽を、ライブをやる理由なんて、楽しいからとか気持ちいいからだとか、はたまた売れたいからだったりする。

俺も同じ部分はあるのだが、もっと違う意味合いが強くなった。

ここにこういう音楽があるぞと、こういう人間がいるぞと言いたいのだ。

ただそこにいて、ただやるだけで良い、不必要で自分本位なもの。

それをただただ示したくなったのだ。

多分これは楽曲のリリースだけではなんとなく伝えにくいと思って、この手段を選んだ。

 

 

そう思ったら辛くて嫌いだったライブ活動がなんだか楽しく思えた。

こで得られる感情はなんだかフラットな気がする。

拗らせつくした価値観は、中学生が初めて音楽に触れた時のような初期衝動にようやく戻った感じ。

これがあって、俺は人と会いたいと思うようになり、安易に言葉を発することができるようになった。

これがあって、停滞して言葉にすらならなかったブログも書けた。

 

 

 

 

 

そんな感じで、また始めていこうと思うのです。

このしょうもないニュアンスが伝わっていればとても嬉しいです。

ただそこにいるだけのことなんです。

皆様もただそこにいて、どうかお元気で。

 

-今日のおすすめの1曲-

見知らぬ世界 - 人間椅子

-コメント-

最近は邦楽を聴く機会が減ってしまっているが、この曲を聞いていてガツンと呼び戻された感覚がある。

意外と淡々としている曲なんだけど、俺の好きなロックの冷たさと熱量の両方を内包している曲である。

そして綺麗じゃない。なんか洗練されていない、かつなんか陰湿なものが許されるのが、日本の音楽の良いところだ。