生みの苦しみについて


こんにちは。

今日はタイトルの通り「生みの苦しみ」について書こうと思います。

いつも悩んでそうに見えるからか「w-mにはきっと生みの苦しみがありますよね」といった言葉を頂くことがあります。

もちろんあるときもありますが、ないときもあります。

最近新しいミュージックビデオ「悪食」を公開しましたが、これなんかは苦労は少なく流れるように出来た一曲でした。

(最後に動画貼りましたのでよろしければご視聴ください)

それで、今現在は曲が出来なくって苦しいなあと思い、こうしてブログ書いているのです。

でもそもそも「生みの苦しみ」って、なんで苦しいのでしょうか?

 

自分の理想のものが出来ないから苦しい?

思うようにいかないこと自体が苦しい?

行き詰まっていることから逃げたくなっていて苦しい?

作品の受け手を失望させることが怖くて苦しい?

 

なんだかどれをとっても、自分に満足がいかなくて癇癪起こしてる子どもみたいな理由ですよね。

俺としては、この苦しみはかっこいいものじゃねえなあって思います。

まあかっこつけるために苦しんでいるわけじゃないんですけどね。

でも本気で向き合えば向き合うほど苦しくなるってのはあるんだろうなと思います。

かっこよくはないけど、この苦しみは自分らしくて嫌いじゃないです。

そして納得のいく形になったときに、えも言えぬ喜びを感じるのです。

だからクリエイトすることってやめられないです。

 

「クリエイト」って書きましたけど、人生なんでもクリエイトだと思うのです。

演奏をするのも会話をするのも恋人を作るのも自宅で休養するのも、時間や空間を作り出しているわけです。

そんな日常で悩んだりすることって、結局生みの苦しみと似ていると思います。

俺以外にも多かれ少なかれ苦しみは必ずあるのだけれど、それは無駄ばかりではないです。

そりゃあ何年間も持続する苦しみはイヤになっちゃうけど、かっこよくもないけど・・・

それはあなた自身を成り立たせる一部であり、あなただけのものです。

周りを見ては「いいなあ」とか思っちゃうこともあると思うけど、どうせ人と同じような生き方をしてもつまらないので、自分にしかないものを生み出していきましょう。

だから害に見える苦しみもアイデンティティになります。

 

話がそれちゃった。

風呂敷を広げまくって書いてきたけど、俺が今行き詰まっている理由の一つにはやっぱり「人と同じものは作りたくないし、人以上にいいものを作りたい」って想いがあるからかなあ。

悲しくも想いばかりでは実らない世の中なので、自分の精神が許す限り苦しみ、完成させて、喜びを迎えたいと思っています。

次の作品の完成までもうすぐです、じゃあね。