俺が音楽をやる理由


w-mのテーマは「ダウナー/モラトリアム/アイデンティティ」である。

これは最近考えた後付けの言葉である。

 

 

俺は高校生の頃に音楽を本気でやっていきたいと考え、宮城からの上京を目指した。

当時は所謂「メジャーデビュー」という分かりやすい目標であった。

以下の理由によるものである。

 

①好きなことを仕事に出来ることは幸せであるから

②心の弱い人々が前向きになってもらえる仕事をしたい

③自身の思想を一般大衆に広く届けるには政治よりもエンターテイメントを活用すべきであると考え、数あるエンタメの中なら音楽が適している

 

こんなところだろうか。

特に②の部分が大きく、なぜこの世は暗い歌が少ないのだと思っていた。

暗い人が聴きたい音楽は暗い歌に決まっているではないかと。

そんな使命感のようなものを負っていた。

 

時代は流れ、いろいろな挫折を味わった。

高校、浪人、大学、社会人と時間が過ぎ、27歳である。

ここまでの約10年を振り返ると、一番大きな出来事はなんであったか。

残念ながら音楽のことではなく、自分自身が体調を壊したことだった。

浪人をしていた19歳から憂鬱感が生まれ、何のために生きるのかという疑問と向き合う。

俺にとって、モラトリアムに入る時期は人より遅れており、それはとても暗いアポリアであった。

その後楽しく過ごした日々もたくさんあり、かけがえのない思い出もある。

でもこんなモラトリアムの時期はいつまでも続いていた。

社会人になる頃には初めて病院へ行き、診断を受けた。

「鬱病/パニック障害/ADHD」。

今となってはこれらと「友達」として付き合っている。

本当につらいとき、音楽とは無力であることもだいぶ前に知った。

 

 

こうした時を経て、俺は何のために音楽をやりたいのか。

そもそも理由など必要なのだろうか。普通、音楽は楽しむためにやるものだろうに。

・・・しかし俺にはこれしかない。

何の特技も持ち合わせていなかった自分にとって、もう切り離せない存在だ。

俺の作る音楽は俺自身であり、アイデンティティーである。

俺みたいな人が、音楽のプロではない世界にたくさんいることが最近分かった。

どんなにクソな作品だとしても、表現していかなければいけない人間がいること。

今は以下のような理由から、死ぬまで音楽をやっていきたい。

 

①心の弱い人々が前向きになってもらえる音楽を作りたい

②自身と同じような人々へ音楽を届けたい

③自分の曲は自分自身である、つまり自己表現