アーティストが挙って使う「自己表現」という言葉。
一体「自己表現」ってなんなのだろう。
とあることをキッカケに、この記事を書いている。
現代社会では、自己表現の場なんてかなり限られているのではないだろうか。
あなたは自分の職場で自分をさらけ出しているだろうか。
否、きっと難しいはずだ。
利益関係が絡む会社こと、抑圧された自分の代表格であろう。
あなたは友人と一緒のときに自分をさらけ出しているだろうか。
否、出し切れていないはずだ。
どんなに仲のいい友人と一緒にいても何かしら心の孤独を埋められない時があるはずだ(違うのならばそれは素晴らしいこと)。
あなたはネット上であれば自分をさらけ出しているだろうか。
否、意外とそうでもないはずだ。
他者が関わっている以上、少なからず相手の見えない顔色をうかがっていたりするものだ。
結局何が言いたいかって、俺たちは人と関わってしまうものなのだ。
現代社会って、簡単な関係が気軽に作れるところなんだ。
じゃあ自己表現も簡単じゃんって思いそうだけど、逆なんだよね。
他者がいればいるほど、息苦しくなるときがあると思う。
他者がいるから「表現」出来るのに、それが「自己表現」じゃないなんて、皮肉なものだ。
詰まるところ、「自己表現」とは「いかに己をさらけ出せるか」であると思う。
「己」を見せつけるためには「己」を知らなければならず、自分でも騙されそうになるような幾層ものペルソナを、一枚一枚剥がさなければならない。
嬉しい気持ちを「嬉しい」と感じ、これを言葉で表すとき、これは既に二次的欲求になっている。
心の中の、クオリアとも言える一次的欲求を、俺たちは常に感じていなければならない。
いつの間にか、人間は、自分と心の距離を測るのが容易ではなくなってしまった。
そんな中俺たちは自分探しをしなくちゃいけない。
もう人前で綺麗に繕うことは飽き飽きだろう。
心の底の残滓を、はき出せるかが自己表現さ。
俺はそう思っている。
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